雑記「ばびゅーんと流星のように」
4月4日、最終回視聴後の感想を追加。
>最終回
駆け足という印象こそ拭えなかったものの、期待したものはほぼ全部ぶち込まれた熱い展開でした。
ヘッドとのバトルも綺羅星の参戦も、最後のザメクとのそれも作画といい演出といい、一話の密度としては文句なしの出来。それだけに余計尺が足りなかったのではという思いもつきまといますが、もはやそれをあげつらうのも野暮というものでしょう。
とは言えどう見てもこれに加えてエピローグは必要だろうとは思いますが、とりあえずそれはDVDを待つしかなさそうです。
で、いつも参考にしている某氏の感想を見てついったで呟いたことを以下に整理。
何がタクト最終回感想だよバカバカしい - ガタガタ言いなさんなって http://d.hatena.ne.jp/tomatotaro/20110403/1301836250
タクト=ワコは「危険を冒しつつ」というよりむしろ「世界破滅の危機回避よりスガタを選んだ」という前提がまずあるので、そうすると構図のニュアンスは若干変わってくるのではないかと。
つまり、若者というよりさらに幼い少年としての意志の発露であると見なせるのではないでしょうか。
そうすると保守というよりあの二人はむしろ最大の破壊者ということになります。
保守を担う青年の代表はむしろ頭取や他の綺羅星に与えられています。番人とヘッドが呼んだとおりに。
ヘッドは大人として綺羅星を馬鹿にしながら、しかしその行動はまさしく大人になれなかった「永遠の少年」のそれであり、やはりその意味でヘッドとタクトは親子でもあるのです。
そして、銀河美少年はあくまで「美少年」であって青年ではないというところは留意されてよいのではないかと。
スガタ=ワコ=タクトという関係の常に中心にあって、今回最終的決断を下すのもまたワコである、という点から、スタドラは少年漫画よりは少女漫画的な想像力の先にあると思われるのです。
tomatotaro氏の言葉を借りるなら、「野望」とか「展望」すら眼中にない恋愛(友情)至上主義という段階にあるので、ルルーシュ=スザクが造り上げたゼロが憎みつつ全うした決断主義と同一線で語れないのは当然といえます。
タクトとワコが互いに頷いたとき、世界とスガタを全く天秤にかけなかったとは思いませんが、天秤にかけるという考えそのものが彼らにおいてはそもそも検討する必要すらなく棄却されるものであった、というのもまた間違いないところでしょう。それは最善でも理性的でもなく、世界のためですらない決断ですが、そういう決断を迷い無く選び取るが故に、彼は「英雄」でも「ヒーロー」でも「正義の味方」でもなく「銀河美少年」という過去の何物でもない呼び名を与えられたのでしょう――などと、そんな風にも思うのです。
ですが、故に彼らが「大人」になる過程はこの作品では描かれません。
それが物語として後退である、という見方も可能でしょうが、個人的には上に述べた通り、少年漫画的なビルドゥングスロマンとしてではなく、スタッフはあらゆる意味での「青春の謳歌」を描きたかったのだろうと思います。
謳歌の時間とは悪い言い方をすれば与えられたモラトリアムです。
ヘッドが取り戻したかった「全て」とはすなわち、今まさに息子たちが謳歌しているそのモラトリアムだったのかもしれませんね。そう考えるとダメ親父すぎて眩暈がしてきますが。
少年にはモラトリアムを与えよ。アダルトチルドレンはその邪魔をするな――というのは、それなりに今の貧しい世相を反映しているような気もしますが、それは横道にそれるのでまあこの辺にしておきましょう。
そんな感じで全25話、楽しませていただきました。
スタッフには感謝と拍手を――
>もうすぐ最終回なわけですが。
ここまでは充分に楽しんでおります。
お話の流れはある程度予想の範疇ではありましたが、中心として描かれるべきものはまずまずしっかりと描かれているのではないでしょうか。
ただ、「異邦の騎士」であるタクトの主人公としての強度は、輝きとしては充分ながら少々物足りなくはあります。
「因縁を解き放つもう一人のヒーロー」にして「救済されるべきヒロイン」でもある文字通りの「王」――争われる玉たるスガタにややキャラの背景強度では後塵を拝している感もあり、オチの付け方によってはすっきりしないものになるかもしれませんね。ワコの行き先も含め。
あと、25話という尺の限界か、どうしても駆け足気味な印象は残ります。
DVDで番外編とかまさかの劇場版あるいは二期とか、そういうこともあるのかもしれませんがそれにしても、ねえ。
最終回で全員復活!とかあるならそれはそれでいいけど、それをきっちり魅せるには30分じゃ足りんだろうと。
せっかく綺羅星十字団に魅力的なキャラと設定を多数配しておきながら、この作品においては彼らを充分に生かし切れたとは言えないような気がします。コウとマドカの扱いとか正直ひどいですね。行動に必然性も厚みもあまり感じられない(最も、それを言ったらバニシングエイジはヘッド以外の全員がそうとも言えますが)。
それ以外でも、サカナちゃんはさておきボクシング先輩とかベニオとか保険医とかヘタレ銀行員とか頭取とか頭取とか頭取とかにはもうすこし掘り下げる機会を与える回があってもよかったと思います。
付け加えると、スタンドバトル的な戦闘シーンがやや魅力に欠ける、という話を前どこかでしましたが、流れの中で戦闘が実質おまけな分、彼らも交えた日常の厚みがもう少し欲しかった気もします。
贅沢なおまけではありますけどね。
しかし戦闘がつまらない、というのはそもそもロボットアニメとして見ると大きな欠点。
この作品はそれを頓狂なキャラクターたちによって埋め合わせてはいますが、ロボットアニメとしての――あるいはヒーローものとしての理想を求める人には歯がゆく映ることもあるかもしれません。
ないものねだりは生産的ではないとはいえ、基本的には非常に高いポテンシャルを持つ作品だけに、何らかのプラスαを期待したいところではあります。
PSPのゲームが結構設定も凝っているらしいので、アニメに満足できなかった人はまずゲームで補完をもくろむのも良いのかもしれませんね。
そんな感じで、とりあえず。
\綺羅星/
>最終回
駆け足という印象こそ拭えなかったものの、期待したものはほぼ全部ぶち込まれた熱い展開でした。
ヘッドとのバトルも綺羅星の参戦も、最後のザメクとのそれも作画といい演出といい、一話の密度としては文句なしの出来。それだけに余計尺が足りなかったのではという思いもつきまといますが、もはやそれをあげつらうのも野暮というものでしょう。
とは言えどう見てもこれに加えてエピローグは必要だろうとは思いますが、とりあえずそれはDVDを待つしかなさそうです。
で、いつも参考にしている某氏の感想を見てついったで呟いたことを以下に整理。
何がタクト最終回感想だよバカバカしい - ガタガタ言いなさんなって http://d.hatena.ne.jp/tomatotaro/20110403/1301836250
タクト=ワコは「危険を冒しつつ」というよりむしろ「世界破滅の危機回避よりスガタを選んだ」という前提がまずあるので、そうすると構図のニュアンスは若干変わってくるのではないかと。
つまり、若者というよりさらに幼い少年としての意志の発露であると見なせるのではないでしょうか。
そうすると保守というよりあの二人はむしろ最大の破壊者ということになります。
保守を担う青年の代表はむしろ頭取や他の綺羅星に与えられています。番人とヘッドが呼んだとおりに。
ヘッドは大人として綺羅星を馬鹿にしながら、しかしその行動はまさしく大人になれなかった「永遠の少年」のそれであり、やはりその意味でヘッドとタクトは親子でもあるのです。
そして、銀河美少年はあくまで「美少年」であって青年ではないというところは留意されてよいのではないかと。
スガタ=ワコ=タクトという関係の常に中心にあって、今回最終的決断を下すのもまたワコである、という点から、スタドラは少年漫画よりは少女漫画的な想像力の先にあると思われるのです。
tomatotaro氏の言葉を借りるなら、「野望」とか「展望」すら眼中にない恋愛(友情)至上主義という段階にあるので、ルルーシュ=スザクが造り上げたゼロが憎みつつ全うした決断主義と同一線で語れないのは当然といえます。
タクトとワコが互いに頷いたとき、世界とスガタを全く天秤にかけなかったとは思いませんが、天秤にかけるという考えそのものが彼らにおいてはそもそも検討する必要すらなく棄却されるものであった、というのもまた間違いないところでしょう。それは最善でも理性的でもなく、世界のためですらない決断ですが、そういう決断を迷い無く選び取るが故に、彼は「英雄」でも「ヒーロー」でも「正義の味方」でもなく「銀河美少年」という過去の何物でもない呼び名を与えられたのでしょう――などと、そんな風にも思うのです。
ですが、故に彼らが「大人」になる過程はこの作品では描かれません。
それが物語として後退である、という見方も可能でしょうが、個人的には上に述べた通り、少年漫画的なビルドゥングスロマンとしてではなく、スタッフはあらゆる意味での「青春の謳歌」を描きたかったのだろうと思います。
謳歌の時間とは悪い言い方をすれば与えられたモラトリアムです。
ヘッドが取り戻したかった「全て」とはすなわち、今まさに息子たちが謳歌しているそのモラトリアムだったのかもしれませんね。そう考えるとダメ親父すぎて眩暈がしてきますが。
少年にはモラトリアムを与えよ。アダルトチルドレンはその邪魔をするな――というのは、それなりに今の貧しい世相を反映しているような気もしますが、それは横道にそれるのでまあこの辺にしておきましょう。
そんな感じで全25話、楽しませていただきました。
スタッフには感謝と拍手を――
>もうすぐ最終回なわけですが。
ここまでは充分に楽しんでおります。
お話の流れはある程度予想の範疇ではありましたが、中心として描かれるべきものはまずまずしっかりと描かれているのではないでしょうか。
ただ、「異邦の騎士」であるタクトの主人公としての強度は、輝きとしては充分ながら少々物足りなくはあります。
「因縁を解き放つもう一人のヒーロー」にして「救済されるべきヒロイン」でもある文字通りの「王」――争われる玉たるスガタにややキャラの背景強度では後塵を拝している感もあり、オチの付け方によってはすっきりしないものになるかもしれませんね。ワコの行き先も含め。
あと、25話という尺の限界か、どうしても駆け足気味な印象は残ります。
DVDで番外編とかまさかの劇場版あるいは二期とか、そういうこともあるのかもしれませんがそれにしても、ねえ。
最終回で全員復活!とかあるならそれはそれでいいけど、それをきっちり魅せるには30分じゃ足りんだろうと。
せっかく綺羅星十字団に魅力的なキャラと設定を多数配しておきながら、この作品においては彼らを充分に生かし切れたとは言えないような気がします。コウとマドカの扱いとか正直ひどいですね。行動に必然性も厚みもあまり感じられない(最も、それを言ったらバニシングエイジはヘッド以外の全員がそうとも言えますが)。
それ以外でも、サカナちゃんはさておきボクシング先輩とかベニオとか保険医とかヘタレ銀行員とか頭取とか頭取とか頭取とかにはもうすこし掘り下げる機会を与える回があってもよかったと思います。
付け加えると、スタンドバトル的な戦闘シーンがやや魅力に欠ける、という話を前どこかでしましたが、流れの中で戦闘が実質おまけな分、彼らも交えた日常の厚みがもう少し欲しかった気もします。
贅沢なおまけではありますけどね。
しかし戦闘がつまらない、というのはそもそもロボットアニメとして見ると大きな欠点。
この作品はそれを頓狂なキャラクターたちによって埋め合わせてはいますが、ロボットアニメとしての――あるいはヒーローものとしての理想を求める人には歯がゆく映ることもあるかもしれません。
ないものねだりは生産的ではないとはいえ、基本的には非常に高いポテンシャルを持つ作品だけに、何らかのプラスαを期待したいところではあります。
PSPのゲームが結構設定も凝っているらしいので、アニメに満足できなかった人はまずゲームで補完をもくろむのも良いのかもしれませんね。
そんな感じで、とりあえず。
\綺羅星/
この記事へのコメント
なんというか『けいおん』の評価もそうだけど、虚構のなかでモラトリアムを描くことは悪なのか?みたいな根っこの無根拠性がありますよね。
現実のきびしさを反映したリアリズムしか認めないのだったら、「虚構=想像力」の存在意義はないとも言えるし。
凄い原画マンスタッフがなん十人もいるとかいう字幕より頭取とかヘッドの後日談流せよ! とは僕も思いました。
コメントありがとうございます。
ヘッドに関しては「老い」の描写がもし後日談などで出てくればそれがすなわち「囚われていたもの」からの成長ということになるかもしれませんね。
あの後サカナちゃんにも見捨てられてたらさすがに同情しますが、まあそれもまたヘッドのためには良いこと(?)かもしれませんw